明日はどんなことしようか

ちょっとずつ書いていきます。 タイトルは大好きな曲の歌詞から。 

Digging Deeper①ゴマをする人と機嫌がよい人

最近、つまらない「違い」が気になる。

 

例えば、野良猫とどら猫の違い。文化と風土の違い。ゴマをする人と機嫌がよい人の違い。

 

どら猫は「悪いことをする」という要素があるらしい。サザエさんの印象が強すぎる…。語源はドラ息子と一緒らしい。

 

文化と風土はもうちょっと後で書くとして、「ゴマをする人」と「機嫌がよい人」について。

 

まず、「機嫌がよい」と「機嫌がよい人」というのがだいぶ違う。前者は自分だけの問題だが、後者は他人に対してで評価される。コミュ障の人でも機嫌がよい時はあるが、「機嫌のよい人がコミュ障」ってことはない。

 

みんなゴマをする人が嫌いだけど、それは上司に対してだけゴマをするから問題なのであって、仮に「自分の周りの人に広くゴマをする」という人がいたとしたら、その人はやっぱり評価が低いんだろうか、なんてことを考えています。

 

何かで「一緒に仕事をするなら、優秀な人より機嫌がいい人がいい」という記事を読んで、結構腹落ちしたし、確かに「機嫌がいい人」というのは評価が高い。

 

でも、「機嫌がいい人」も生まれ持った気質というよりかは本人の努力の要素が大きいんだと思う。

 

そして、「ゴマをする人」も同じようにきっと努力の要素が大きいだと思う。

だとしたら、みんなにゴマをする人がいたら(←これはこの話の大前提)、機嫌がいい人と同じように、評価されてもいいと思うんだけどな。

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なんでこの違いが気になったのか、というと、僕は結構、会社の経営歴が長いので、たくさんの部下を見てきて、やっぱりゴマをすらない人よりかはゴマをすれる人の方がいいと思うんですよ。

 

「僕だけにゴマをする人」というのがいたら結構引くと思うんだけど、幸いそういう人にあっていないし、部下を客先に連れて行くときに能力が同じならば、ゴマをすれない人よりかはゴマをすれる人を連れて行くと思う。客先でつっけんどんな態度をされても困るし。

 

僕自身が過去2回会社を辞めた理由が「上司との人間関係」だったというキャラクターだからか、例え、どんな上司でもゴマをすることで安定的に人間関係が構築できるのであれば、それは立派なスキルだとしてリスペクトされるべき、とすら思ってしまいます。

 

もちろん「機嫌がいい人」の方がいろいろと上位互換機能がついてると思うんですよ。

「機嫌がいい人」はどんな状況でもネガティブなこと言わなさそうだし、「自分の機嫌をよくすることで、周囲の機嫌をよくできる」みたいな機能がついているわけですから。 

 

でも、それはかなり難易度の高いスキルで、僕も「機嫌のいい人」になりたいと思って努力していますが、その過程で「僕ができること、やっていること」は別の角度から見たら「全方位にたいして、相手が確実に喜ぶゴマをする」という見方をすることもできます。(ゴマをする、って要するに社交的ってことだからね)

 

僕自身が、嫌いな上司は本当に嫌いで(いい人も沢山いましたが)、「ゴマをする」というかそもそも上司と折り合いをつけるということすら下手でしたし、独立して、ゴマをするという言葉に抵抗がなくなってみると、別にゴマも擦れないよりかは擦れる方がいいな、みたいな思いがふと沸くわけです。

「上司にだけしかゴマがすれない」という状態も本人が「周りにもごま擦ったほうが仕事がうまくいく」という気付きがあれば、成長の次へのステップになるんではないかな。とも思います。

 

ゴマをすることで出る油は、むだになることも多いけど、時には潤滑油にもなることもあるんじゃないでしょうか。

 

 

確かに「機嫌がいい」と「ゴマをする」には違いはあるけれど、相手を選ばないのであれば、どちらも本人の努力によってなされえているのだから、ゴマをすることも悪くないんじゃない?、みたいなお話しでした。